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50歳からのアニメ

国際化したアニメを昭和世代から再評価してみます。

今日見たアニメ(暁のヨナ 第22話)ネタバレ有り。

第22話 歴史は夜作られる
原作コミック。第7巻35ページから95ページまで。なんと、コミック37話(歴史は夜作られる)と38話(宴の夜に)分が進行した。もっとも、後に述べるが38話は不完全だった。

今回、初めてヨナが人(クムジ)を殺めるシーンだったので、最大限の「引き延ばし」があるだろうとは思っていたのだが、それが、戦闘中に無意味にちりばめられるギャグだったり、スローモーションだったりしたのには流石にあきれた・・・。何を描きたかったのだろう。
特に、冒頭、ヨナが上げた花火でキジャがヨナを救いに来るシーンがあるのだが、原作コミックでは傷ついたヨナをみたキジャの「相手を殺したい」と思うほどの怒りが戦闘に勢いを与えるのだが、無駄に戦闘シーンを引き延ばしたため、後半ではどうでも良くなってしまっている。
この戦闘のあと、ジェハが仲間に加わる大事な「要素」だったはずなのだが、このアニメの監督は原作を読んでいるのか甚だ疑問に思った。
このアニメは何も出来ないひとりの女の子が荒波にもまれていくうち成長していくという感情表現が胆になっていると思っているのだが、ホント何を描きたいのだろう。
ちなみに、ヨナがキムジを討つシーンの前に、ジェハがキムジに射落とされるシーンがあるのだが、不必要に間(原作コミックには無いキムジが仲間をいったん盾にしてジェハのミスを誘う)を取っているため、ヨナとキムジの船の距離が大きく離れてしまい、ヨナがキムジを射るシーンでは、「おいおいそんなに距離があったら普通避けられるだろう」と思ってしまった。もちろん、原作では、そんな「無様な絵」にはなっていない。

ただ、ヨナが初めて手を血で染めるシーンは、「憎しみ」と「殺人」を「正義」としてどのように表現するのかと思っていたら、「憎しみ」や「殺人」という子供向けアニメに相応しくない感情を露わにするシーンは描かれておらず、「達成感」を強く感じさせられる構成になっていたのは高く評価したい。
欲を言えば、ヨナがキムジを射ったあと、「父上」と心の中で呼ぶシーンがあるが、「私は強くなれたのでしょうか」と続けて欲しかったとか、そんなヨナを見てハクが呆けているシーンにもうひとつアクションを追加して欲しかった。

それから時間引き延ばしのため、前回、原作では名前が出てこない女の子に名乗らせたシーンがある書いたが、私が読み飛ばしていただけで「ユリ」という名前の女の子はきちんと描かれていたので訂正する。こういうのを「キャラが立っていない」と表現すれば良いのだろうか???

なお、コミック38話では重要な宴の席でのヨナとジェハの会話、ギガン船長とジェハの会話はすっかり抜け落ちている。これはたぶん、原作では、戦闘が終了したのが明け方で、その日一日中を宴に費やしてしまっていて、一晩明けたところをヨナが散歩に行ってスウォンと出会ってしまう展開を、宴を抜け、ひとり街をフラフラしているヨナがスウォンとばったり出会ってしまうシーンに変更したかったからなのだろうが、原作者の了解は取っているのだろうか。